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デイックパパ
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  • 1998年5月、デイックがレデイーと結婚し、7月にノエル、モニカの2匹の娘が誕生。2007年11月5日、デイック、2008年2月25日ノエルが昇天。モニカが残された。楽しかったこの10年の後、2匹の愛犬を失った悲しみ。闘病のなかで学んだ教訓。最先端の医療開発情報を伝えてゆきます。
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シェルテイー犬との日々
シェルテイー犬を中心とした日々、朝夕の散歩、公園での出会い、 食事、病気、公園で会う人との会話、気がついた社会、政治、歴史の話題、仕事上での話題など
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Author:デイックパパ
1998年5月、デイックがレデイーと結婚し、7月にノエル、モニカの2匹の娘が誕生。2007年11月5日、デイック、2008年2月25日ノエルが昇天。モニカが残された。楽しかったこの10年の後、2匹の愛犬を失った悲しみ。闘病のなかで学んだ教訓。最先端の医療開発情報を伝えてゆきます。


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犬のレーザ治療ーその2
2008年8月27日(水)                        晴れ

モニカのレーザ治療へのご質問への回答です!

モニカのレーザ治療へ複数の方よりご質問を戴きました。犬が歳をとしをとってくると、関節炎、腰痛など色々な障害が出てきて悩まされますので、お困りの方が多いことが実感として判りました。モニカの痛みの治療に使っているレーザ治療器は、オーストラリアのRianCorp社製のLTU-904Hという器械で、904ナノメータの近赤外線のパルスレーザで、犬の痛みや腫れ、傷の治療に良く効きます。メーカー直販価格は40万円です。当家では父親のデイックが10歳の頃、矢張り、関節痛になって一時は歩けなくなったので、乳母車を買いましたが、レーザ治療を毎日行い、歩けるようになりました。ただ治療開始が遅れたため、関節が固まるという後遺症が残ったので、モニカの場合、ビッコを引き始めてすぐにレーザ治療を開始したので、結果は良好なようです。赤い靴は4日間で壊れてしまったので、今は、インターネットで探した新しい靴を履いています。
値段は倍ですが、非常に具合は良いようです。

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      新しい靴のモニカ

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モニカの治療にレーザ治療器が活躍してます
2008年8月26日(火)                           雨

モニカも10歳になり、亡くなったデックと同じように関節の痛みが出て、ビッコを引くようになった。手元にあるオーストラリア製のレーザ治療器で治療し、足の裏が路面ですれ切れて痛がるので、犬の靴を買い履かせて快適に過ごしている。

日本のオリンピック選手のコンデショニングにレーザ治療器は使われているのかしら?

マラソンの野口みづき選手が肉離れで参加を断念し、土佐礼子選手も外反母趾、疲労骨折で途中棄権したが、走る前から痛みを抱えていたと報道されている。モニカの治療に使用しているレーザ治療器は、オーストラリアのオリンピックチームでは、シドニーオリンピックの時から、選手の治療、コンデショニングに全面的に採用されていると聞いているが、日本では使われていると聞いた事が無い。
レーザ治療は細胞再生効果があるので、痛みを取るだけでなく、傷そのものも急速に治癒させるので、運動選手には最適と思う。近代的な医療、コンデイショニングの手法を取り入れないと、ロンドンでも二の舞になるのではないか危惧する。
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赤い靴を履いたモニカ

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北島選手が日本を救ってくれた!
2008年8月11日(月)                    晴れ、極暑

北島選手ありがとう!

オリンピックを見ていてもやもや感、ストレスがたまっていたが、北島選手が100メートル平泳ぎで金メダルを取り、世界記録を達成したことで、殆どの日本人は救われた気持ちになったと思う。サッカーの予選落ち、特に、アメリカとのゲームで、再三、ゴールを外す姿を見ていると、日本人はやはり駄目なのかと思えてきた。柔道も同じで、金メダルを必ず取ると宣言した選手が銅メダルも取れず、敗退する。云う事は大きい事をいうが、実績が伴わない。そこに、宣言したとおり、金メダルを取った北島選手の登場。もし彼も金メダルを取れなかったら、日本国民は暗い気持ちに落ち込んだと思う。その意味で、救世主である。国民栄誉賞を与えるべきだ。200メートルも頑張って欲しい。

それにしても、開会式の際の日本の首相の姿にはガッカリした。各国の首相、大統領は自国の選手団の入場の際、起立して手を振り、声援を送っていたが、わが国の首相はすわったままで、隣の人と話をしていたのに気がついた日本人は多かったのではないだろうか。”総理、日本選手団の入場ですよ!お立ちになり、手を振ってください”と進言する側近が必要なのだろうか?
国家元首の教育はどうなっているのか?
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                        クッキー

テーマ:私の心境。 - ジャンル:日記

モニカが10歳の誕生日を迎えた!
2008年8月2日(土)                       晴れ、暑い

モニカ誕生日おめでとう!

モニカが生まれたのは、10年前、1998年3月30日であった。
この年は色々なことがあった年で、3月には家内の姉が亡くなり、4月には次男が司法研修所の野球大会の決勝で、ヒットを打って出塁して3塁に進み、内野ゴロで3塁からホームに突入、キャッチャーと衝突して左腕を骨折した。これが姉の49日の翌日であった。

同じようなことは平成2年にもあった。10月29日に母が亡くなったが、49日の翌日、家内が車に跳ねられ、頭部挫傷の重傷を負い、東京女子大の脳センターで緊急手術を受けた。幸い、命はとりとめ、2月後に退院し、後遺症の顔面マヒに悩まされたが、1年後には頭部にセラミックの頭蓋骨を入れ、テニスも出来るぐらいに回復したが、10万人に一人の幸運だと言われた。

嫌な事が続いたので、局面打開の為、5月にデイックを床屋のレデイーと見合わせ、幸運にも2匹の子犬に恵まれた。モニカとノエルである。

2匹は希望の星だった!

2匹が生まれた時、ノエルは一日に3回も死にそうになり、レデイーは若い母親だった為、母乳があまり出ず、子育てには大変苦労したが、2匹とも綺麗なシェルテーに育ってくれた。デイック、ノエル、モニカ3匹との約10年の生活は、新しい子育てをしたようで、忘れようとしても忘れられない10年であった。ただ、昨年7月にノエルに癌が見つかり、それ以来の闘病生活、その間、11月5日のデイックの突然の死は、3匹との生活が楽しかった反動で、非常なショックであった。

モニカに感謝している!

モニカがいたおかげで、幾分ショックが和らげられ、モニカに感謝している。ノエルが早死にした分長生きして欲しい。それにしても体重が18kgから減らないのには苦労している。まあしょうがないか!
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